新春の佇まい
2011年 01月 17日
明けましておめでとうございます。心より新春のお喜びを
申し上げます。(少し遅くなってしまいましたが)
兎に角よく働いた年の瀬でございましたが、お陰様で恒例
のお節料理も無事に相済ませる事が出来ました。
毎年毎年こうして一年の最後に、先人から伝わる伝統的
な調理に、意を正して向かうことこそ、我が身への戒めで
あると感じています。
どんなに美しい料理が仕上がっても、その隠れた部分が
不浄であれば、それは片手落ちになります。
やはり日々の作務の上に成り立つものだと思うのです。
一年の始めに、それを禅寺に見出す事に致しました。
「日々の積み重ね」今年は基本を見つめなおしてみよう
と思うのであります。
この「凛」として佇む東福寺の三門。そこには清浄な空間
が広がっていました。
楼上には文殊菩薩と十六羅漢がおわします。
私も日々の作務に励む事に致します。
申し上げます。(少し遅くなってしまいましたが)
兎に角よく働いた年の瀬でございましたが、お陰様で恒例
のお節料理も無事に相済ませる事が出来ました。
毎年毎年こうして一年の最後に、先人から伝わる伝統的
な調理に、意を正して向かうことこそ、我が身への戒めで
あると感じています。
どんなに美しい料理が仕上がっても、その隠れた部分が
不浄であれば、それは片手落ちになります。
やはり日々の作務の上に成り立つものだと思うのです。
一年の始めに、それを禅寺に見出す事に致しました。
「日々の積み重ね」今年は基本を見つめなおしてみよう
と思うのであります。
この「凛」として佇む東福寺の三門。そこには清浄な空間
が広がっていました。
楼上には文殊菩薩と十六羅漢がおわします。
私も日々の作務に励む事に致します。
by hossoge
| 2011-01-17 09:34
| 京都・奈良